大阪市北区天満の【せせらぎ出版】は自費出版、共同出版、企画出版の相談をお受けしています。見積り等お気軽にご連絡下さい。

会社案内

せせらぎ出版のスタッフユニーク紹介

営業は苦手、編集は大好きのパソコンおじさん:山崎亮一 なんでもやります営業兼編集者:山崎あさ
本の発送、がんばってま〜す:moroさん 退職後も外部スタッフで活躍の大御所:なべちゃん
社長の山崎亮一とはこんなおっさんです

1942年生まれ。同窓会などで、男の同級生たちがほとんど、白髪や頭髪後退状態なのでびっくりしましたが、幸い僕は女性ホルモンが多いのか、頭髪だけは黒々なので、若く見られることが多く、得をしています。
でも老眼と、脳のメモリー不足はちょっと深刻。

アウトドア、とくに釣りが大好き人間。筏のチヌ(黒鯛)釣りは、シーズンの夏から秋にかけては、仕事がいくら忙しくても2週間に1度くらい(ときには平日にも)でかけてしまい、スタッフたちからヒンシュクをかっています。

大学中退後、大阪の小売り書店(兼洋書販売)に8年、地図出版社に4年勤めて、そこが経営不振のため退職し。大阪で出版社をさがしたが、30代半ばの就職は無理。
どうしても出版・編集がしたかったので、自分でやることにしました。1979年ごろだったと思います。

資金ゼロの出発でした。分割払いの退職金(計90万円くらい)から、給料として月5万円妻にわたしてやりくりしてもらいました。
「共同編集社」という名で始めた仕事場は、大阪府枚方市の自宅(関西で文化住宅とよぶ2DKのアパート)の3畳の片隅の机。
知人への名刺くばりからはじめて、印刷の仕事ならチラシ・封筒・文集……、なんでもやりました。

そのころの、聞くも涙、語るも涙の物語は数えきれませんが、今日のところはおいといて。そのころはわずかな売上ですが、車で印刷工場や紙屋さんに走って、すべて現金仕入、その仕入に手間賃を足した額を客からもらう、という単純経理の無借金経営でした(このころの方がよかったのかも……)。

やがて自宅の文化住宅の2階をもう1軒借りて事務所に。この時に、前の地図出版社の同僚だったなべちゃんをスカウトして、2人になりました。

無理をして、現在の大阪市内のビルの1室に事務所を移したのは、たしか1982年ごろだったと思います。

そのころは、なんでも自分でやれることは自分でやろうと、中古の製版カメラと暗室、中古の手動写植機も入れたものです。

やがて、本来の目的であった書店ルートで本を販売する出版社にするために、「せせらぎ出版」と名を変え、取次口座を「地方小出版流通センター」「大阪屋」「柳原書店」と開きました。「トーハン」「日販」などは零細出版社には条件が厳しすぎて開設できず、「トーハン」はその後2000年3月にやっと開設できました。

事実上の最初の出版は、妻の山崎万里著『みんなちがってみんないい』(わが家の自然食・子育て奮戦記)でしたが、全国紙で報道されてよく売れ(といっても著者が講演先などで売った方が多いのですが)現在でもロングセラーで15,000部くらい出ています。

その後も、自費出版でなんとか経営を維持し、市民運動グループなどと協力しながら、“大出版社では出せないけれど世に出したい本”を出すことに全力疾走してきました。

そのために「製作費が安くていい本」をつくるために、DTPに興味をもちました。15年も前からMacでなくWindowsで本作りをしてきた出版社としては、日本でも草分け的存在ではないかと自負しています。そのノウハウは、出版ネッツの講座などで若い編集者に伝えることに力を入れています。また「DTPお役立ち情報」というブログも書き始めましたので、のぞいてみてください。

当初は年間5〜6点のペースの出版でしたが、現在では年間10点以上の本を出し、念願の100点を大きく越え、160点以上の出版点数となりました。その分、在庫と借金も増え(トホホ…)、倉庫として自宅近くのガレージを2つ借りています。

毎月、印刷屋さん・給料・社会保険・家賃・リース代などの支払がとどこおりがちで、四苦八苦。

でも、男一匹、好きなことを仕事にできているのは最高の幸せ。俺は負けへんでぇ。……あ、妻の「あなたには言わないようにしてきたけど、お金がないのはどんなにミジメなことか、わかっといてよね」という声が聞こえてきそう。(でも、妻は僕が独立の相談をした時、「お互い、やりたいことをつらぬけばいいんじゃないの」と言ってくれたので、ふんぎりがついたのです。感謝!)

最後に「せせらぎ出版」の名前の由来をよく聞かれるので、ひとこと。

僕の出版社は、大出版社が著名な著者と宣伝力にものをいわせて売るのとは別の、名もない人たちがこつこつと書いた、技術的には未熟でも、生きる勇気を与えてくれる何かを本という形で世に出したい。そういう意味で、出版文化の無数の源流の一つになりたい。そんな思いで、なべちゃんと相談してつけました。

ちょっと、気取って長々と書きましたが、僕はホントはけっこう俗物です。インターネットでも「アダルト系」もよく見ている(^.^;)、フツーのおじさんです。 よろしく。

こんにちは 山崎 あさです

せせらぎ出版の3人目の編集者、山崎あさです。

代表山崎亮一は父になります。幼少時より、自宅兼事務所で、山崎や渡辺幸子さんが編集作業をしているのを見て育ちました。

大学は福祉分野へ進み、自分が編集を仕事にするとは全く考えておりませんでしたが、卒業後事務アルバイトとしてせせらぎ出版にかかわり、4年目に一念発起で編集の勉強を始め、入社8年目の現在に至ります。

初めて担当させていただいた本は、自費出版の絵本でした。脳に障害を負われた私と同世代の女性が学生時代に描いた鉛筆書きの絵本が、地域で関わる保健師さんとご家族の協力のもと、カラーの絵本にうまれかわり、後半には皆さんからご本人へのメッセージがつづられました。

どんな本からも、かかわる方々の想いや人間ドラマが伝わってきます。この仕事を始めてたくさんの方々と出会いました。自費出版、書店を通して広めていく流通出版、形はいろいろありますが、その本にとって一番よい形で人の手に渡っていくお手伝いをします。

現在、年刊のホリスティック教育ライブラリーの担当編集をさせていただき、私の編集歴と同じ、4号目の刊行を来春に控えております。

大きな出版社の真似はできませんが、小さな出版社だからできることをひとつずつ積み重ねていきたいと思います。

せせらぎ出版は、大阪城と天神さんからすぐ近く、小さなビルの一室です。どうぞお気軽にご連絡ください。

はじめまして。
素敵なご縁でせせらぎ出版のスタッフとして働かせていただいています。(moroさん)

大学を卒業してから、ずっと金融機関に勤めていましたが、自分の可能性を求めて退職し、出版の世界に飛び込みました。全くの素人の私ですが、山崎さんたちに出版のイロハから教えていただき、日々勉強の毎日です。

子供の頃から大好きだった本に囲まれ、その本が企画段階の全く何もないところから、実際に本としての形になって書店に並ぶまでを身近に体験できることは、この上ない喜びです。完成した本を書店へ発送するときは、我が子を嫁ぎ先へ送り出すように、愛しみと祝福を込めて送り出したくなります。

一冊の本が完成するまでには、多くのドラマがあります。

著者の方の「本にしたい」という強い想い。

不慮の事故で亡くなられたご家族の想いを本にされる方。

ご自身の生きる目的として、ご自身が生きた証として、本を遺される方。

ご自分の研究・発見・体験を1人でも多くの方へ伝えようと、本を出される方……。

毎日、数え切れない多くの本が出版されていますが、そこにはその本の数だけ多くのドラマがあるのです。

本は、著者の方の人生そのもの、分身とも言えると思います。ですから、その分身を大切に、壊さないように読者へ伝えたい。そして、著者の方のその想いが素直に読者の心に届くように、そんな本作りのお手伝いをさせていただきたい、と思っています。

今はまだ、編集の補助作業をしていますが、いつかは担当者として一冊の本を任せていただけるように、と頑張っています。

また他に、私はイラストの仕事もしています。イラスト・カット等のご要望があれば、ご一報ください。お待ちしています。

本づくり、激動の30年
社外スタッフ 渡辺 幸子

同窓会で友人が「そういえば、あんたは中学生の頃から『本を出す仕事に就きたい!』とよく言ってたよ」と。「ヘーェー、そんなこと言ってたかな〜」と私。今はすっかり忘却のかなただけど、そうとしたら初志貫徹「なかなかいいじゃんか、わが人生」である。

大学を卒業後、地図出版の昭文社に入社、地図の編集に携わった。時代は60年代後半、日本経済の高度成長まっただ中。新住居表示実施や車社会の出現で、都市地図や道路地図が売れに売れた時代で、どんどん制作される地図の制作現場は活気に満ちていた。

道路や等高線を烏口を使って描くトレース、町名や地番を一つひとつ貼るステカップという作業、町名ごとに色をつける色版制作、そして道路状況を調べる編集者の仕事など、一枚の地図は多くの人の手作業を経て作られた。地図は多色刷で印刷されたので、印刷原版は十数枚にもなり、印刷会社の営業マンがどっしりと重いフィルムを運んでいたのを思い出す。

1979年、共同編集社(せせらぎ出版の前身)に入社したころも、本作りはもちろん手作業。広辞苑を片手に、赤鉛筆を握りながら原稿整理、校正などの編集作業を(机の上で)した。印刷原版の版下づくりも。1冊の本の版下原版は、これまた、どっしりと重かった。

そうそう、今では想像できないけれど、本のノンブルを1頁ごとノリで貼っていたのだ。数字のゆがみに気をくばりながら……。

1冊の本ができるまでの手作業の時間。自分の手で愛しみながら作った本が完成したときは、いつまでも胸もとで抱きしめていたいと思うほどだった。

1993年頃、せせらぎ出版は、パソコンでの本作りを始めた。はじめてパソコンなるものに触れたときの恐怖感。今の子どもたちのように、ゲームソフトなどのおもちゃがなかった時代に育った私、パソコンはヘタに触ると壊れる機械で、いつも緊張、こわごわの操作だった。

文字を流すとあっという間に組版が出来上がるDTPソフト。パソコンに慣れてくると、もうタイプや写植で打った文章を貼りつける版下作業など、トロくてやっていられない。校正や原稿整理もパソコンの前でやるようになった。本作りは何倍ものスピードで加速した。

せせらぎ出版は大手出版社より一足早くデジタルでの本づくり着手したようである。大手出版社は時代のあまりにも早い変化に対応するのに、荷が重すぎたということだろう。

せせらぎ出版在職中、私は主に自費出版ものを担当させていただいた。いろんな著者の方々との出会い、それぞれの人生が凝縮した本づくりは、しんどいながらも学ぶことが多かった。

2005年12月、退職する直前に担当したのは、『京都自転車マップ』である。地図は京都環境市民のスタッフが制作した。地図の原版は、1枚のうすっぺらなCD。パソコンで開けると、完璧な地図ができあがっていた。

地図の企画、情報調査は、何人ものボランティアでつくられてはいるが、実質的な地図の制作者は一人。30年前、多くの人の手で作られた地図は、今は一人のパソコンのエキスパートによって作られるようになった。

いつのまにか、時代は大きく変わっていた。若き頃、誇りをもって仕事をしていたトレーサーやステカップマン、写植オペレーターはどこへ行ったのだろう。

せせらぎ出版を退社してから、自宅で本づくりのお手伝いをさせていただいている。悔しいことに、今でも自分の手足のようにパソコンを使いこなせていない。人を感動させる本は、著者と作り手の心と感性のせめぎあいでできると思う。人の心をうつ本づくりをするためにも、道具としてのパソコンをうまく使いこなしたいものである。

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